80年代モノクロ写真館2011/03/16 23:41

 モノクロフィルムデジタル化作戦中だが84年王祇祭の写真

 作家森敦氏を囲んで記念写真。森敦氏は小説「月山」昭和48年発表、体験を元に書いたと言われる。60歳で芥川賞受賞で世間を驚かせた作家である。この頃黒川能でよくお見かけした。ヘビースモーカーで独特のスタイルでたばこを吹かしていた。右は難波さん親子です(現宮司さん・そのとなりは獅子笛の名手の難波甚九郎師)
(獅子笛は現在上座笛方で、ブログを書いている秋山篤司師が勤めている)

森敦氏

84年(昭和59年)2月1日上座当屋大地踏
大地踏
「・・とうびんがくはつくすとも のうさるがくはつくすまじ・・」

大地踏
 この写真を見ていて、ひょとすると、今年当屋で「釣狐」を拓いた彼かなと思った。正確な情報を調べて名前を追記します。

 この時代モノクロフィルムがメインで王祇祭で3日間で34本+α撮影している、このほかにハッセルでカラーを撮影。
 モノクロフィルムはコダックトライXをISO800増感現像、現像液はD76で、ナイコール式ステンレスタンクを使用していた。片溝式タンクも使っていたと思うが、現像ムラが発生して取り扱いが難しかった。

 ベタ焼きのデジタル化はまだまだ気の長い話です。

 ベタ焼きのデジタル化出来たら、主なコマだけフィルムのデジタル化にも取り組む予定(一部のカラーフィルムはデジタル化中)

 原発事故はどうなるんでしょうか、東海村の原発の定期点検時に原子炉内へ潜り込み、労働者の被曝問題を告発していた写真家がいました。当時東電はそんなことは無いといっていました。
 今回の東電の発表を聴いていると情報公開が不十分のような印象をうけます。原発三基とも同じような状態になったということは、安全装置に問題があったんでしょうか。 いまから水力火力発電に切り替えるといってもとても無理な話でしょう。(各自が覚悟を決めて不自由な生活を我慢すれば可能かもしれないが) 今回の経験で分かったことを現在稼働している原発へ生かしてもらいたい物です。(事故は起こることを前提にして、安全装置を強化してください)